複数の人と会話をする場で、会話の輪に入れず「ぼっち」になってしまう・・
会社の飲み会
強制参加のパーティーやイベント
社会人になると「行きたくても行かなければならない」集まりというのが、どうしても出てきます。
知り合いor仲のいい人もいなく、気乗りしないけど行かないとダメな場所に行くときは、前日から憂鬱。
私は会社員ですが、そうした「集まりごと」に参加するのは、気が重くて仕方ありませんでした。
集団の場に行っても、ロクに楽しめず疲れる
空気になり、浮いた存在になり、ぼっちになる
ぼっちになってしまった自分に、自己嫌悪になる
避けたいけれど、避けられない宿命のようなもの。ずっとこんな「ぼっち」を経験しなければならないのか・・と悩んでいた時期もありました。
ただ、場数をこなしていくうちに「口下手でコミュニケーション力のない私なりの、接し方過ごし方」が見えてきました。
私の体験談をもとに、参考にしていただける部分があれば幸いです。
1.いつも「ぼっち」になっていた私の体験談
一対一ではそれなりに会話が成立しても、集団の会話に入るのが苦手。
複数の人間で会話すると「空気のような存在」になってしまい、その場にいるのが「気まずく」なって”ぼっち”になってしまうのがお決まりのパターンでした。
とにかく、時間が早く過ぎてくれないかな・・帰りたくて仕方ない。
その場の空気を楽しめたり、会話に無理なく入って楽しめる人がうらやましくて仕方ありません。
家に帰ったら、大してしゃべってもいないのに「エネルギーを使い果たしてぐったり」。そして自己嫌悪に陥ったり傷ついて悶々とその日のことを考えたり。
2.飲み会やパーティーで”ぼっち”になる原因
「どうして、いつもぼっちになってしまうんだろう?」と考えてみました。
●人数が増えると会話についていけない
●話題をふられても、うまく返せず妙な空気になる
●自分から話題を作れない
●勇気を出して話題を作り出しても、妙な冷めた空気になる
●聞き役になっても、会話する人から目も合わされない
●集団の中で「孤立した感じが」強くなり、その輪にいるのがきつくなる
↓
ぼっちになる
ということが考えられました。
こうした「問題」の背景に隠れていることを考えてみたところ、、
「場の空気を読んで会話する、コミュニケーション力が低い」
「そもそも話題が少ない、会話の引き出しを持っていない」
「人の反応を気にしすぎ、空気を読みすぎてしまう」
の3つに集約されます。果たして、これらは訓練でよくなるのでしょうか?
場の空気を読んで会話する、コミュニケーション力が低い
もともと生まれ持ったコミュニケーション力というのは、訓練しても改善するのは難しいものです。
私も場の空気を読んだり、自分から流れを作るのがうまい人を研究しましたが、マニュアル化できることではなく「とっさに出てくるもの」の要素が強いため、ものにできませんでした。
たいていのことは努力でなんとかなりますが、「センス」の部分が大きいため難しいです。また、コミュニケーション力は実践する場=本番でもあるので、なおさら「数稽古」ができないという欠点もあります。
そもそも話題が少ない、会話の引き出しを持っていない
集団の中で話題を切り出せる人、会話をつなげられる人は「話題豊富」なものです。
私も”話のネタ”になるものを事前にいくつか用意して、スマホのメモ帳アプリにいれていました。ところが結果は変わらず・・
勇気を出して話題を切り出しても「ぶつ切り」になってしまうのです。場の空気が盛り上がらず、「いい天気ですね」と変わらないくらいの盛り上がり方。
(おまけに私は「声が通らない」ので、みんなに伝わりにくい・・)
ところがコミュニケーション力の高い人は、話題が盛り上がるように出しますし、返すのがうまい人はさらに話題を広げていきます。
時事ネタや仕事ネタなどを仕入れても、「場に沿って、盛り上がるような切り出し方」というのは別物なんだなと、強く感じました。
雑学的なものをたくさん仕入れれればいい・・という簡単なものではないのです。
「持って生まれたセンス」と、小さいころからの積み重ねによる「場数の違い」がコミュニケーション力の差を作り出すのだな、と思いました。
人の反応を気にしすぎ、空気を読みすぎてしまう
「こんな話題だと、場がしらけてしまうかな・・つまらないと思われないかな」
「こんな返しをしたら、盛り下がってしまうかな」
自分から話題を作れない、話題をふられても微妙な返ししかできないのは、「人のことを気にしすぎ」ている面が強いのではないでしょうか。
コミュニケーションのうまい人は、たしかに場の空気を作るのもうまいですが「大胆」でもあります。多少滑っても気にしてませんし、また次の話題で切り込んでいったりとメンタルが強い。
私たちのような「うまく集団で立ち振る舞えない人間」は、失敗を気にしすぎて萎縮しているケースが多いのだと思います。
控えめに、控えめに・・としているうちに、集団の中で空気のような存在になり、フェードアウトしたくなってしまうのです。
3.”ぼっち”な私が心がけている、5つのこと
私は数えきれないくらい「嫌な思い」をしてきましたし、「コミュニケーション上級者」を見習って努力もしてきましたが報われることはほとんどありませんでした。
それでも。
以前のように飲み会やパーティーなど「集団の場」にいっても、”つらい思い”をすることが少なくなりました。
私が気づき、心がけていることについて、お話したいと思います!
~”ぼっち”な私が心がけている、4つのこと~
●うまい人を真似しても、その人にはなれない
●等身大の自分を受け入れ、背伸びをしない
●自分にできることを、しっかりわきまえる
●辛いのは自分だけじゃない
うまい人を真似しても、その人にはなれない
結局、集団の中でうまく立ち振る舞える人は「コミュニケーション能力が高い」のです。
もともとのセンスと、こなしてきた場数が違うので、少し努力したところでかなうわけがないのです。
もちろん、立ち振る舞いがうまい人がうらやましかったり、嫉妬したりするかもしれません。
ですが。
「人間は、それぞれ長所と短所がある」という現実を受け入れた方が楽なのです。
勝てない分野、努力してもどうしようもない分野には見切りをつけて、自分が評価される分野を伸ばしていくのが幸せな人生なのです。
「無理なものは無理」ということを認めることで、自分の心が楽になります。必要以上に自分を責めないでほしいです。
等身大の自分を受け入れ、背伸びをしない
無理していっぱいしゃべったり、気の利いたことを言おうとして頑張っても疲れるだけです。
●せっかくの場を、楽しまなければならない
●ぼっちな自分を人に見られたくない
●人に受け入れられない現実が辛い、愛されたい
「あるべき自分」と「現実の自分」との葛藤に悩まされるかもしれません。
ですが「集団という場では、思うようにならない」という自分を受け入れることができれば、もっともっと楽になれるのです。
あくまで集団という場に限った話です。友人や恋人や家族など「もっと大切な人」との関係でバランスをとればいいのではないでしょうか。
「集団の輪は苦手なのは、仕方ない。変に気にしすぎても仕方ない。」
自分にできることを、しっかりわきまえる
●大勢の人と話す場面になったら、にこやかに話を聞くことに徹する
●話をふられたら、無難に返す
●自分から一切話題をふらなくていい
●ぼっちになったら、食事を楽しむか、入りやすそうなグループのはじっこに入って、にこやかに
●堂々としていること。後ろめたさはオーラとなって伝わる
無理せず自然な立ち振る舞いを心がけてましょう。「最低限できること」をやって、あとは時間が過ぎるのをぼーっと待っていればいいだけなのです。
辛いのは自分だけじゃない
「ぼっちの気持ちなんて、どうせ周りの人にはわからないんだろうな・・」
たしかに、苦労をしらない人の方が多いと思います。ただ、つらいのは”ぼっち”の人だけじゃないのです。
話題の中心にいる人は、一見気楽そうに見えてもすごくエネルギーを使って大変なものなのです。
センスの良さでカバーはできても、そこには人に相談できない気苦労があったりするものです。
むしろ”ぼっち”の方が、あれこれ気を使わなくて済む分だけ楽なのです。「楽」というと誤解されるかもしれませんが、自分の気の持ちようによっては「楽」になれるのです。
自分のコンプレックスともいうべき、「集団で輪に入れない」という悩み。私は「できない自分」を受け入れて、もっと気楽に考えるようにした結果、「楽」な時間を過ごせるようになりつつあります。